術(すべ)について
私は何をしてきた人だろうと少し思われていませんか?
そんなことを感じましたので、わたしの職歴を通して
書いてみます。
決して、エリートでもないし、普通の人生かなと
今、思っているのですが、
ご判断は、みなさまにおまかせします。
私は、立命館大学法学部を卒業しました。
京都の某国立大学に行きたかったけれど
入れてもらえなかった。
私は、学生時代から旧司法試験を学び、判事になりたい
と思ったものでした。
私の父の遊び友達に、高等裁判所の判事がいたので、
その先生のお話を伺うたびに、その世界に入りたいと
思ったからでした。
しかし、司法試験を断念し、民間の企業に勤め始めたの
が今、ここにある私の礎になっていると思います。
今思えば、いろんなことを学んだなと思います。
後悔はしていませんが、お勧めするものでもありません。
ただ、ここまで来たのかと思うだけです。
また、これから始めるかと思わされるだけです。
しかし、これまでの人生がすべて益とされて
今の仕事に生かされていることに感謝しています。
みなさまとぼちぼち話す機会があるかも知れませんが
世の中のすべてのことに、自分だけではない何かに
操られている面があるのかなと、ふと思わされたりします。
みなさまはいかがですか。
自分だけですべてを成し遂げてこられましたか。
そんなスーパーマンの方もいらっしゃるでしょう。
でも、私は、平凡な人生を過ごしてきた男であり、
ただ、平凡の人間が住む社会を大切にする政治、行政は、
とても大切だと思っています。
今、そのような人々が安心して生活、生きていける社会
のなかで、争いごとは直接に法的対応はできませんが、
紛争にならないための予防するための人生の道しるべ、
を法的視点からお話しできる仕事についていることは、
行政書士だからこそできることなのでしょうね。
行政書士は、予防法務の専門家といわれますが、
人それぞれの置かれた状況において、
様々なことに出会い、超えていきます。
しかし、あとで振り返ると、
なんであんなことをしたのだろうかと、後悔先に立たず
と自分を慰めては、落ち込み、また元気にります。
その時に、あの時に、あのことを知っていたら
こんなことに、こんなことまでに、ならなかっただろう。
と思ったことはありませんか。
私は、ビジネスでも、日常生活でもあります。
法は私たちの生活のなかで、絶対的な規範ではないが、
相対的に私たちの生きる上での規範となっています。
その規範は、すべてではないですが、一部でも
みなさまの生活にお役に立つことは否定できません。
だからこそ、その人にとっては想定外であっても、
周りを見渡すと、想定内なことも多々あります。
想定外、知らなかったという言い訳はその人だけしか
通じない事柄になっている場面もあります。
そこで、何かがおかししい、これをしていると何か変だ
と思うことがらは、ぜひ、立ち止まってほしい。
そして、術(すべ)を身に着けてほしい。
その術を身に着けるために、予防法務の専門家
が必要なのです。トラブルが当たり前、争いごとがあって
当たり前、そんな社会の中で戦うことのために
生きるなんて虚しく、疑問を持ちませんか?
疲れますよね。
あなたの人生を豊かに、明るく、自己実現をするために、
一緒に、日々の小さな芽、問題を語りませんか。
そんな、ノートをめざしています。
本記事は、2019年3月24日seesaaブログで投稿したものですが、本ホームページ内に移動いたしますので再掲載いたします。