2019/9/22

「1億総活躍社会」を掲げ、シニア世代の社会参加を?

*「1億総活躍社会」を掲げ、シニア世代の社会参加を?

<ポイント>

1.「人生100年時代」といわれる中、第二の人生に関心が集まっている。シニアライフを充実させるためには何が必要なのか。

2.「1億総活躍社会」とは、

 今回はとても奥の深い話題をテーマに揚げました。私の友人は、先日ある企業の面接に行き、とても感触が良かったと言っていましたが、結局不採用でした。

 友人はなぜだろうと考えました。就職先として、・60歳以上可、・未経験可の応募条件を確認のうえ、応募したのです。その応募先は介護職員でした。人手不足などと社会問題になっているいる業種がなぜ、このような決定をしたのだろうかを友人は考えたのでした。

 職務経歴書も詳細に書き、誰が見ても不採用となることはないだろうと思われる履歴書でした。そこで、友人は思い切って面接に応じた担当者に質問をするため電話しましました。なぜなら、今後職を探すにも、目安が見つけられない、無作為に履歴書さえ送ればという、精神的にも答える就労活動をしたくなかったからでした。人の良い担当者で、もらした言葉のなかに、「大変ですよ」「はじめての方に務まらない」など、応募条件に記載されていたこととは違う判断があったということでした。

 これは、友人のケースだけでなく、シニア世代も元気で働いています、などの求人記載においてどのような基準が要求されているのか、また、登録型派遣においてもシニア世代は日雇い労働と同じルールであつかわれており、労働機会をあてがわれる式の古い感覚の雇用形態がとられているように思う。

 民間企業においては、雇用の採用基準は、面接時においては企業側の思うままであるが、実際は大手企業などを除けば、採用担当者はその現場の責任者がすることが多いと思われる。すると、現在では、30歳から50歳代の担当者が判断をしているが、履歴のあるシニアの判断はできないであろう。このことは仕方がない。職場環境など現在の作業ルールなどを考えた場合、扱いにくい異端児に見えるかもしれない。

 政府も「一億総活躍社会」「人生100年時代」のなかで、シニア世代の雇用問題にもっと真剣に取り組むべきであろう。そうしなければ、現役時代活躍していた多くのシニアが社会からはじき出され個人に引きこもってしまうことになりはしないか。シニアは社会貢献的な仕事をすればいいなど、持続する活力ある社会など望めもしないであろう。もっと、企業側も、臆せず優秀なシニアをアドバイザーないしチーム力の一員として参加させるくらいの度量をもってもいいのかなと思う。

 こんなことを思わされた参考記事でした。

詳細は参考記事をご覧ください。

<参考記事>

「立派な職歴ですね」結局不採用
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e3%80%8c%e7%ab%8b%e6%b4%be%e3%81%aa%e8%81%b7%e6%ad%b4%e3%81%a7%e3%81%99%e3%81%ad%e3%80%8d%e7%b5%90%e5%b1%80%e4%b8%8d%e6%8e%a1%e7%94%a8/ar-AAHD8Om?ocid=iehp#page=2

福井新聞社

2019/09/21 17:00
「4月から参与になってほしい」―。今年の正月明け、会社の常務執行役員だった誠さん(仮名、64)=福井県福井市=は社長に言われた。

 組織には若い人たちの発想が必要だと思っていたから、心の準備はできていた。「ただ実際に言われると、実務から離れる寂しさがあった」

 その頃、妻に誘われ、英ロックバンド「クイーン」の軌跡を描いた映画「ボヘミアン・ラプソディ」を見た。好きな音楽に全エネルギーをつぎ込む生き方と、その音楽に元気をもらった。ファンでもないのに、サントラ盤などのCDとDVDを計6枚買った。

 会社では総務人事畑を歩み、OBや取引先の通夜葬儀には何度も参列した。元役員なのに、退任後だからか弔問客が少なく、寂しく感じる葬式もあった。たくさんの人生が垣間見える職場だった。

20年ほど前、社内の「山歩きの会」に入り、月1~2回、日帰り登山した。頂上では手料理が振る舞われ、宴会のようだった。メンバーは退職してもOBとして参加した。「碁を打っているとか、地域のことで忙しいとか、先輩たちは会社を辞めてもポジティブに生きていた。会社の役職とは無関係だった」

 第二の人生を考え始めていた7年前、定年退職したばかりの三つ上の兄にがんが見つかり、闘病生活の末に亡くなった。「平均寿命はみんなに約束されているわけじゃない。やりたいことは今、やらないと」と強く思った。

 兄の病気が発覚した年に、庭にピザ窯を作った。気軽に寄ってほしいとの思いからで実際、山や職場の仲間が来てくれた。4年前には妻と折半した退職金をつぎ込み、窯の横に平屋の小屋を建てた。

 庭にはイチジクやユズなどの果樹が植えられ、ジャムにして知人にお裾分けすることもある。「時間をかけて庭木を世話し、果樹をもう少し増やしていきたい」。誠さんが描くセカンドライフだ。

  ■  ■  ■

 福井市の淳さん(仮名、60代)は定年を迎えたが、会社の再雇用は断った。約40年のサラリーマン生活は多忙で、退職して1年間は読書などにふけった。2年目から足しげくハローワークに通った。

 会社では部長にまでなった。再就職を目指し、職歴をきっちりと記した履歴書を10社以上に送ったが、ほとんどが送り返された。面接にこぎ着けたのは2社だけだ。

 ある面接官は「立派な職歴ですね」と言った。嫌な言い方だった。案の定不採用―。「真面目にやってきて、こんな目に遭うのか。社会から『お引き取りください』と言われているようだった」。詳しい職歴は書かなくなった。

 縁あって、現在は子どもたちに野球を教えている。試合後、勝利に沸く観客席をグラウンドから眺める喜びは味わったことのないものだった。ただ、指導者の契約は1年単位。収入も少ない。「指導者をしながら仕事ができれば」と思うがうまくいかない。

 国は「1億総活躍社会」を掲げ、シニア世代の社会参加を声高に叫ぶ。会社員時代にはなかった経験ができつつも、なかなか再就職が決まらない淳さん。「元気だし枯れる年でもないんだけど…。俺って勝ち組なのか負け組なのか、どっちなのかねえ」。一億総活躍という言葉がむなしく聞こえる。

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 「人生100年時代」といわれる中、第二の人生に関心が集まっている。シニアライフを充実させるためには何が必要なのか。福井新聞D刊の連載「ふくいを生きる」で福井県内の50代以降の暮らしぶりを紹介する。